snowravine
現代の情報社会において、私たちは膨大な知識に触れることができます。しかし、その中には「耳学問」—つまり深く検証せず、聞きかじった情報によって知識を得た気になる状態—が蔓延しています。そしてこの現象は、YouTubeやSNSの拡散力によってさらに加速しているのが現状です。
耳学問の量産工場としてのYouTube
- YouTubeは気軽に情報を発信・取得できるプラットフォームです。
- しかし、視聴者は「話し方がうまい」「雰囲気が信頼できる」などの非論理的な要素で情報の真偽を判断してしまう傾向があります。
- 困ったことに、研究者等は、原則と多数の例外を知っているため、歯切れの悪い人が多いです。
- その結果、視聴しただけで「理解した気になる」層が生まれ、思考や検証を省略してしまいます。
耳学問に基づく投票行動の危険性
- 民主主義では「個人の判断」が制度の根幹を担います。
- しかし、耳学問により形成された“なんとなくの理解”を基にした判断は、合理性や倫理性に欠けることがあります。
- このような判断が投票行動に直結すると、政策や社会制度の方向性が感情的・表層的な流れに左右される危険性があります。
思考停止が招く社会の脆弱性
耳学問の問題は単なる個人の知識不足に留まらず、社会全体の意思決定の質を低下させるという重大な影響があります。
- 「理解した気になっている人」が増えるほど、深い議論や多角的な視点が減少します。
- 批判的思考が弱まり、エコーチェンバー(同質的情報の反復)による情報の偏りが助長されます。
どうすれば良いか:情報との健全な向き合い方
- 一次情報や複数の視点を比較しながら、内容を精査する習慣を持つ。
- 単なる「共感」ではなく、根拠ある「納得」に基づいて判断する。
- 情報発信者の肩書や人気に頼らず、発信内容の論理性・整合性を重視する。
まとめ
耳学問は、便利で効率的に見える反面、思考の深さを奪います。そしてそれが集団で起こると、社会の決定そのものが危うくなる。「聞いて分かった気になる」から「自分で考える」への転換、それが情報過多の時代における知性の第一歩です。
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東京大学理系卒のコンサルタント、30代。HSP。FIRE目標。投資:2012~。
趣味は読書(社会・経済・技術)。
分析力と戦略的思考で、安定と自由を手に入れる方法を探求しています。